今日は摂理に来てから「宝」を見つけた話(*’ω’*)
今日はまじめモード。
さて、私はコンプレックスがとても強い方でした。
特に自分の容姿、声にコンプレックスがありました。
でも摂理にきて不思議なのは、
私がコンプレックスと感じていた部分がむしろ長所だと言われる事がたくさんありました。
今まで20数年間抱えていたコンプレックスが、摂理に来て解決されたんです。
まず容姿について。
私は自分の鼻の形を気にしてました。
すらっと高いわけではなくちょっとひょうたんっぽいと言うか。
しかし摂理にきて間もない頃、信頼するお姉さんが「鼻の形、いいね」と褒めてくれました。
・・え?
まさかそこが褒められるとは思ってもいなかったので驚きましたが、
その一言がきっかけで、それ以降鼻の形のことが気にならなくなりました。
ちなみに、私が鼻の形を気にしてるなんて話、摂理の方はもちろん、家族にも誰にも一切話した事はありません。
この悩みを知っている存在がいるとしたら、神様だけでしょう。
目の前の人を通して、神様がおっしゃってくださったのかもしれません。
容姿についてまた別の話。
以前は、芸能人みたいないわゆる美人顔、彼らのような顔こそがいい容姿だと思っていました。
なので、いわゆる容姿のいい人をうらやむ一方で、自分の顔や表情について肯定的に考えたことはありませんでした。
ですが、ある日、教会の指導者の方と話をしていた時のこと。
指導者の方が一言「tanpopoちゃんって、笑顔がいいんだよね」
・・目からウロコ。自分では全く気付けなかった自分の一面を再発見しました。
驚きとともに、自分のいいところは自分が一番わかっていないのかもしれないと思いました。
あとは、声について。
私は自分の声についてコンプレックスがとても強いです。
小学生の時、音楽の授業で自分の歌声を録画したものを聞いたのですが、
その時の声質・音程が変に聞こえて自分の声に引いてしまい、それ以降声にコンプレックスを持つようになりました。
それをずっと引きずっていて学校の合唱コンクールの時に怒られることもありました。
歌声に関しては、小学校から大学まで、自分の歌声を知らないと表現しても過言でないレベル。
それくらい、自分の声にずっとコンプレックスを感じていました。
ですが、これも摂理にきてから覆されることになります。
ある時、同い年の子と話してたら「tanpopoちゃんの声って、いい声だよね」と一言。
・・・?!その一言がきっかけで、認識が変わりました。
ここまで書いて、私単純かもw?と思ったけど、彼らの言葉が建前や嘘でなく真実なものだからこそ、受け入れられたのだと思います。
昔の記憶のせいか、まだ録音した声を聞くことには抵抗はありますが、苦手意識はだんだん和らいできたし、自分の声自体は個性だ、よいものだとして認識できるようになってきました。
自分の声についてのコンプレックスが徐々に解けてくるようになってきています。
歌についても、前述のとおり摂理に来る前までは全くといっていいほど歌えず。
御言葉の前に賛美を歌ってみようかと言われたときは、まじですかー。。という感じ。
神様に申し訳ないのですが、賛美の時間は苦手な時間でもありました。
ある日歌を歌えない悩みをお姉さんに伝えてみたら、そのお姉さんも同じように歌えなかったそうでした。
私も1人で練習して歌えるようになったんだよという話を聞いて、そうかと思い、私も1人で練習をしてみました。
自分の歌声ってどんな声なんだ?と思いつつおそるおそる歌って。徐々に歌えるようになって、
今は歌を歌うことがとっても好きになりました。
今まで苦痛でしかなったことが、今は喜びに変わったのだから、どんなにうれしい事でしょうか。感謝するしかありません。
容姿や声。
これまでコンプレックスに思っていた部分について摂理に来てからたくさん褒められるという事が起き、
コンプレックスだと思っていたものがむしろ自分の良い部分・個性だったということに気づきました。
摂理に来て、20数年間解消できなかったコンプレックスが解消されるようになりました。
自分自身がどれほど貴重で価値ある存在なのか悟りなさい
摂理に来て、貴重な「宝」を見つけるようになりました。
それは金銀財宝、富や名誉。そういう目に見えるものではありません。
摂理という宗教について、私が過ごしてきた中で感じたことを1つ言うならば、
本当に貴重なものの価値を正しく教えてくれ、花開かせてくれる所だと私は感じます。

神様の目線で自分自身の本来の価値を教えてくれ、取り戻させてくれる神様の愛に、感謝します。
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