宗教と言われてよく聞く話のひとつに『献金』があります。
宗教にはまって壺を高額で買わされたり、献金に財産を投資させられて献金のせいで生活が崩壊しちゃう!やばい!なんて話を聞いたりします。
これについて、キリスト教福音宣教会(摂理)はどうなのでしょうか?
生活をまともに維持できなくなるほどに多額の献金を強要されてしまうのでしょうか?
今日は、キリスト教福音宣教会(摂理)の献金事情について、2022年現在で信仰歴12年になる私が体験した事実を書いてみたいと思います。
キリスト福音宣教会(摂理)の献金事情
まずキリスト福音宣教会(摂理)で献金があるかというと、あります。
いつするかというと毎週の主日礼拝の中で説教を聞いた後に献金の時間があります。
献金の種類にはいろいろあって主日献金、十分の一献金、感謝献金などがあります。
献金する額については、基本的に各自に任されており多額の献金を強要されることはありません。
献金で大事なのは額の大きさではなく『捧げる人の心だ』と教会で教えてもらいました。
どれだけ神様に真心をこめて捧げられたのか、捧げる人の心が大事です。
どんなに小さな額だとしても真心で捧げた献金は神様に喜ばれる大きな捧げ物になります。
人から何かをもらうときも物の大小よりその人の心が何より嬉しかったりしますよね。
献金は神様に捧げる真心だから、額の大小よりもどれだけ神様への感謝と真心がこめられているかが大切なのです。
実際、額について何か要求されたことは今まで一度もありません。
献金を持ってくるのを忘れたり捧げられない時もありましたが、それについて何か言われたこともないです。
生活が壊れるほど多額の献金を要求されるどころか、生活が苦しくなるほど献金することはむしろ推奨されてません。
これは献金について話を聞くなかで重ね重ね聞いてきたことです。
その人が信仰的にも栄え、肉体の生活においても栄えて生きることを願われています。
本人の生活を崩壊させてまで献金することは願われないのです。
宗教って聞くと壺買わされたり多額の献金を要求されたりするんでしょ?とか、お金についてやましいことをしてるイメージが先行しがちですが、キリスト教福音宣教会(摂理)の方針は上に書いた通りでこの話を聞くたびにここはめちゃくちゃまともな所だなーと感じます。
献金して生活崩壊しないの?
でも献金してるじゃーん!
生活崩壊しない?大丈夫?
といった疑問について、私自身の状況をお話しします。
まず私は30代前半の女性の会社員で、年収はまぁ普通かなってくらいです(笑)
東京で一人暮らし、賃貸で部屋を借りてます。家賃は自己負担、しかも東京なのでまー安くないですよね(笑)でも1ヶ月も欠かさず家賃払えてます。
ふだんの食事ですがふつうに食べてます。お魚や果物、野菜など少し値のはるものも日常的に食べられるくらいですし、食生活を営むに問題なし。
私は持病持ちで毎月通院費や薬代が発生します。毎月諭吉さんが飛んでいくので小さい額とは言えないですが、特に問題なく生活できてます。
食べること着ること住むこと生活に問題はないし、献金のせいで生活が崩壊したことはありません。
変に生活費をきりつめることもないし、毎月少しずつ貯金だってできてます。
最低限の生活を営むだけにとどまらず余暇活動も楽しんでます。
私はカメラ女子でミラーレス一眼を持ってますが、去年か今年くらいで追加のレンズを2個買いました。
レンズは1個あたり数万はする安くはない買い物ですが、カメラとレンズを2つ買って趣味を楽しむだけの余裕もあります。
献金はしてますが、だからといって生活が破綻するようなことは全然ないですね。
普通に生活してることがわかると思います。
今回は独身の女性社会人としての一例でしたが、結婚してる人は??と疑問に思う方もいるかもしれませんね。
結婚して家庭を持っている方々がまとめた記事もありますので、こちらも見ていただけたらよいかなと思います
まとめ
今日はキリスト教福音宣教会(摂理)の献金事情についてまず書きました。
献金は額の大きさが大事なのではなく神様に捧げる真心が大事なのだと学びました。
捧げる額は自由だし、生活が苦しくなるほど多額の献金を要求されるどころか、むしろ逆です。
生活が苦しくなるほど献金することはむしろ推奨されてません。
肉体の生活においても、信仰においても、すべてにおいて栄えて生きることを願われています。
そして、献金しながら生活はちゃんと成り立っているのかについて、私が見て経験してきたことを綴ってみました。
衣食住に問題なく過ごせており、献金によって生活が崩壊してることはありません。
当ブログには報道では見えない実際の生活が書かれていますので、キリスト教福音宣教会(摂理)という宗教の実際を知るうえで当ブログが参考になれれば幸いです。
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