水。自分。価値について考える

今日は『価値』についてのお話(^-^)

さて、私たちは生活の中でたくさん水を使いますね。

料理に、風呂に、洗濯に、手洗いに。

実にさまざまなところで使われています。

水は衣食住に欠かすことのできない、貴重なインフラです。

 

ふと、もし水がなくなったらどうなるんだろう?と考えてみました。

 

料理できない。

体も顔も洗えない。

洗濯もできない。

 

大変\(゜ロ\)

 

水がなければ本当~に大変なことになります。

 

生活の中にありふれるようだけど、とても貴重です。

普段なにも意識せず使っていたけれど、その価値、貴重さを改めて実感するようになりました。

 

同じものなのに、時に貴重に見えたり、時に卑しく見えたりもする。

それ自体の価値は、変動のない絶対的なものだとしても、自分の心次第で相対的に価値が変わってしまう。

見る自分の心、考えが問題ですね。

 

価値を見失ってはいけない。

もし自分の中で価値を失ってるものがあるならば、取り戻さないといけない。

そう感じました。

 

ここからは、自分自身の価値についての話。

もともと私は、自分自身のことが本当に嫌いで、自分自身に価値を見いだすことができずにいました。

でも、神様に出会い、神様の愛にふれてくる中で自分自身の価値というものがどういうものなのかまだ波はあるものの、少しずつ、少しずつ、わかるようになってきました。

自分で自分を愛することができるようになった。

tanpopoという人を、tanpopoという人の個性を認められるようになった。

自分が自分であることを喜んで生きられるようになった。

⬆️ニュアンスを言葉で表現するのが難しいのですが、表現するならばこういう感情が自分の中に湧くようになったんです。

神様は一人一人にその人にしかない個性を与え、一人一人を貴重な存在として創造してくださったのに、その価値がわからなかった。

自分自身の価値の回復。

摂理に来て変化したことのひとつです。

 

貴重なものを貴重だとわかって生きられること。

それは本当に幸いなことなのです☺️

この記事を書いた人
たんぽぽ

摂理という宗教に生きる女性社会人です(^^)
◆職種: SE(インフラ系)
第一印象はスポーツ女子に見られる笑
いわゆる女性らしいおシャレはちょっと苦手…素朴さが私の個性だと思って磨いていきます笑!

◆好きなもの
・写真 :花、自然、景色(スマホ、ミラーレス)
・料理 : かぼちゃ料理
・スポーツ : ランニング、サッカー
・動物 : 柴犬!あとは、もふもふ

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