社会人になって3年目。年数を重ねれば、後輩ができて一緒に仕事をします。
時に相手が直すべきことについて注意しなければならない場面があります。
ところで、私は相手を注意するのがとっても苦手です。
私の一言によって相手が傷つくのではないか。
これが怖くて注意するのをためらってしまいます。
ここで一つ例え話をば。
1組の親子がいます。自分は親の立場と考えてください。
歩いている時、子供が赤信号なのに全速力で今にも道路を渡ろうとしています。
その時には「止まりなさい!」とつい語調が強くなります。人は緊急性が高いほど、するな!してはいけない!と語調が強くなります。
ここでもし「自分の一言で傷つくのではないか」と注意するのをためらってしまったら、子供は事故にあってしまいます。
言ってあげてこそ事故を免れることができます。
御言葉を聞いていると、この性格・体質を直しなさいなどなど、叱る御言葉もあります。
図星すぎてショックを受けたり、叱られたと思って落胆したり、拗ねちゃうこともありました。
しかし、よくよく考えると、御言葉通りにした時は苦痛を免れ結局栄えました。一方、御言葉通りにしなかった時はいつも自分が苦しい結果一つだけが残りました。経験上そうでした。もし御言葉を聞かなければわからなくて後者の道に行ってしまったはず。無知とは本当に恐ろしいです。叱られたことだけ考えるとショックだけれども、考えれてみれば叱られてでも教えてもらったことが本当に感謝なことだとわかります。
本当にたくさんの御言葉がありますが、全ての御言葉を一言にまとめるならば「愛している」の一言に集約されるそうです。
神様は人間を愛していて、その人が必ず栄えるようにと願って一言一言を語られます。
愛の中でも一番大きな愛は「生かす愛」だと学びました。
もし、100万回愛していると言って抱きしめてあげても命の危機に瀕したときに救えなかったら悲しいです。
必ず死ぬはずのところから生かしてあげることが、一番大きな愛です。
ほめる。叱られる。どんな内容であっても、愛ゆえに語る神様の御言葉。
言葉の根底に流れる神様の心情をわかって、感謝して一言一言に耳を傾けていきたいです。
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