今日、教会の先輩社会人のお姉さんにLINEする機会があったのですが、その時に私が教会の事で「これどうなんだろーな?」と前から悶々としていた事について、ばーっと話しました。正直鬱憤(うっぷん)がたまってたと思います
乱暴な言葉は遣わないように言葉には気を付けつつも、ちょっと愚痴っぽくもなってしまったかも。
改善点とかそういう類いについて腹を割って本音伝えるのって、ちょっと気まずいというか、勇気が要りますよね。私はそういう話をするのすごい苦手です。
やばいこと言っちまったかも(そのお姉さんへの愚痴ではない)、という後悔の念がありましたが、それに対してのお姉さんの反応がすごかった。
そのお姉さんは「そんなこと言うなんてお前はなんてやつだ!」みたいに私を見下げたりする事なく、そうなんだねー言ってくれて嬉しいよー、と「命を顧みなさい」というまさに今週の御言葉のように、すべてを受け止め、顧みて、負担感を感じさせない気さくな雰囲気でコメント返してくださいました。
ほんとに人格的で、いや、ほんとにすごいと思った。御言葉実践、まさに神対応です。
そして命はやはり愛で顧みてこそ生きるものなんだな、と感じました。
寛容になれない自分の懐の狭さを悔い改める気持ちにもなりました。
そして、本音をアウトプット、話したことで自分がすべき事も整理され新たに考えさせられる時間になりました。
今の次元を抜け出してもっと新しく、より良く変化するためには、古いものを打ち砕くこと、現状に腹を割って向き合うプロセスが必要。
個人の次元なら、ありのままの今の自分の心にとことん向き合う事、組織的には勇気を出して今の改善点を打ち明けること、向き合うこと。それが古いものを壊して新たな次元へ踏み出していくうえで必要なプロセスなんだな、という事を感じたひとときでした。
御言葉で自分を作り人格を磨いてきたお姉さんたちの懐の大きさと、見るべき方向を改めて考えるようにしてくださった導きに感謝です。
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