基本。基本といえば、スポーツに学業、あらゆる分野の中に『基本』というものがあります。
基本ができてこそ応用ができる!と良くいったりもしますよね。その基本です。
信仰生活にも『基本』があります。
摂理の信仰生活での『基本』とはなにか?というと、具体的にはお祈り、礼拝などがあります。
そして。
今回のブログのタイトルにもあるのでもうお分かりかとは思いますが(笑)
摂理の信仰生活の基本として外すことができないものがありますが、その中な1つが『聖書を読むこと』です。
摂理って聖書読むの?とお思いのかたもいらっしゃるでしょうか?
その問いに対する答えは上に書いた通り『読みます』になります~。
そもそも、聖書を抜いたら摂理の信仰生活は成り立たないといっても過言ではないです。
もう10年軽く越えるくらい前の話ですが(笑)最初摂理で聖書のお話=バイブルスタディを学び始めよう!ってなったとき真っ先にしたのは聖書を準備することですね。
私は町の本屋に行って口語訳の聖書を買いました。今だとアプリでも読めますね。
このように、摂理で信仰生活を始めた最初っから聖書が登場してます。
つまり。それくらい、聖書は摂理の信仰生活になくてはならないものだということができます。
それは最初から今まで変わりません。
毎週主日礼拝の説教にも聖書は欠かせません。
説教の中にはイエス様はもちろんのこと、使徒パウロやペテロ、旧約聖書に出てくるダビデやソロモン、ヨシュアなど様々な人物の話がたくさん出てきます。
なので聖書を予め読んで時代背景を理解してると説教の内容がよりわかりやすく、すっと頭に入ってきます。
礼拝の説教もやはり聖書がベースになっています。
私たち信徒も聖書を日常的に読みますが、御言葉を教えてくださってる鄭明析牧師ご自身が何よりたくさん読まれていて、若い頃の時点で2000回は読まれたそうです。私は、ええと、何回読んだかしら…(笑)もはやレベルが違います(笑)
あとは聖書の解釈についてですが、聖書から逸脱した、斜め上を行くような変な解釈ではなく。筋が通っていて現実的な話に感じます。
聖書って自力で読むと結構難しくて、文字通りにただ読むと難解だったり非現実的に見える部分が多いですが、難解な聖書の内容をわかりやすくまた深く教えてくれました。
例えば聖書に太陽が止まったと記載されてる箇所がありますが。地動説が確認されてる今ですから、文字通りに解釈したらどうでしょうか?これって科学と矛盾してないか?ってなるし、無理やり信じるとしても心に引っ掛かかりそうです。私は理系で自然科学を学んだ立場だからこそ尚更。
こういうところも聖書を根拠にしながら読み方を、理系の私でも納得いくように教えてくれるんですよね。
結果として、聖書も科学も両方。両方をすっきり自信をもって信じられる今があります。
これはたくさんある中の一例であり、このようにすっきり教えてもらえたことが他にもたくさんあります。
以上をふまえつつ、摂理で聖書のお話を学んで感じることがあるとすれば、教えてる内容が聖書と矛盾せず筋が通ってるということ。
難解な聖書を、1ヶ所だけでなく聖書の他の箇所やその時の時代背景など複数の観点と照らしても矛盾せず確かにそうだなぁとしっくりくるように教えてくれるので、そこが純粋にすごいなぁと感じてます。
例えるなら、物語全体に散りばめられてる伏線がぴったり合うような感じでしょうか?
摂理で教えてることを一言で言うならば『第一に神様を愛すること』であり『第二に人を、隣人を愛すること』です。
これはまさに福音書に書いてあることで、律法の中つまり聖書の中で一番大事な教えはこれだ!とキリストであるイエス様が伝えていた内容で、聖書の核だとも言える教えです。
鄭明析牧師ご自身イエス様を慕っておられ、その御言葉を守ってこられました。なので摂理でもやはりこの教えを大事にしています。
武力を行使することでもなく、犯罪を犯すことでもなく。摂理で教えてくれたのは神様を愛することであり、兄弟を愛すること。
人が生きるうえで必要な、至極まともなことを教えてくれたし、その御言葉を十分行うことができるように多様に聖書を教え御言葉の恵みを注いでくれます。
いろいろ書きましたが(笑)
今回は、摂理の信仰生活の基本のきである聖書について書いてみました~。
やはり摂理の信仰生活は聖書の上に成り立っているし、摂理の信仰生活に聖書はなくてはならない存在なんだなぁと改めて感じました。
ということで聖書通読がんばります~☆
摂理の信仰生活ってどんな感じ?と思われる方に少しでも摂理の実情を知ってもらえたらいいなぁと思って、摂理の信仰生活という観点で1つ記事を書いてみました。
少しでも摂理を知るうえで参考になれば幸いです。
読んでいただきありがとうございます♪
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