この前の通勤時のこと。
いつもの電車がとても混んでました。ホームには長蛇の列。
(゜ロ゜)
このままではすし詰め。ひょえ~~と思ってたら、前の方なら空いてますよというアナウンスが入ってきました。
…よっしゃ( ´,_ゝ`)q
すかさずそっちに移動。言葉の通り空いてたので楽に乗ることができました。
ホームを歩く人目線ではどこが空いててどこが混んでるかわからないので、案内があって助かりました~(;;)
全体を見て一番良い所へ導いてくれる人が大きいなと感じました。
これついて、ここからは別の切り口から綴ってみたいと思います。
全体を見て一番良い所へ導いてくれるものと書きましたが、御言葉がそういう存在だと思いました。聖書にある「言葉」を訳すと「Logos(法則)」という意味になります。
御言葉とは単なる言語(Language)ではなく法則、真理ですね。
何ごともそれを上手くやるための法則があります。例えばスポーツ。こうすれば上手くプレーできるという法則があります。法則を掴んでこそ易しくできます。真理はまさしくそういう存在だと言えます。
天地は滅びるであろう。しかしわたしの言葉は滅びることがない。
マタイによる福音書 24:35
また「天地が滅びても私の言葉は滅びない」とイエス様が御言葉の性質について語りました。天地が滅びても、時代が変わっても、真理は永遠だということですね。
真理とは流行のように一時的に来て去っていくようなものではなく、今を見ても将来を見ても一番良い道だということができます。
聖書とその御言葉を学べることに改めて感謝する思いです~(o・ω・)ノ
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