人を生かすものはやはり<愛>なんだなぁ‥と感じる昨今。
教会に通う仲間たちを通してそう感じることがありました。
ある時、複数人のグループLINEで私がちょっと癇癪起こしてしまい、心に溜めこんでいたこと、感じていることを打ち明けました。
送信した後に文面を振り返った時、気まずく申し訳ない気持ちになりました。
それに対して返ってきたみなの反応は。
私を咎めることなく、むしろ励まし、倒れた心を再び立ち上がらせてくれる愛の言葉の数々。
私を責める言葉、咎める言葉などは何一つ見当たらず、すべて<愛>で返ってきました。怒られて当然と思ってただけに、ただ驚くしかありませんでした。
またある時、私自身が置かれた状況がキツくて、そのことについてお祈りしてほしいと彼女たちに告げました。
みな社会人で自分のことするだけでも忙しいはずなのに、お祈りするね、守られますように!といった真心のメッセージと真実な祈りで支えてくれました(TT)救われる思いでした。
彼女たちの言葉と行動をみると、どこをみても、どこから切っても、すべて愛、愛、愛。愛が出てくる。
私はこのように他人に対して真実や愛で接することはできていただろうか?彼女たちをみて自分自身の愚かさ、小ささを悟り、心の姿勢を省みるようになりました。
摂理で数年過ごしてきましたが、摂理を一言で表現するならば<愛の世界>だと感じます。一人一人が本当に善良で、神様を愛する愛と隣人を愛する愛、真実な愛に溢れています。
今まで過ごすなかでいろんな問題にぶつかりました。その都度神様にも、皆にもいろいろぶつかってしまいました。。でも振り返ってみると、どんなにぶつかってもいつもそこには愛がありました。神様から注がれる愛と、その愛を受けて自らを作り成長してきた皆から注がれる愛。その愛によって生かされ、ここまで来ました。
人を生かすのはやはり<愛>なのだと感じざるを得ません。
今日紹介した仲間たちのうちの1人は、摂理に来た時期が私と近くて、古くからの付き合いがあります。その後しばらくお互い違う地域で過ごし、最近久しぶりに会いました。当時の彼女と今の彼女を比べると、一回りも二回りも成長を遂げているのを感じました。
話を聞いてみると、会わない期間に彼女の内にさまざまな葛藤、もがきがあったことを知りました。自分を削り、磨き、崩れた岩を建て直すよう作りあげた人の心は堅固で、また、ダイヤモンドのように美しい。そう感じます。
私自身の人生も愛もダイヤモンドのように堅固なものに作っていきたいと思います(^^)✨
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